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コトリバコ
http://syarecowa.moo.jp/99/59.html
幸福の壷
http://syarecowa.moo.jp/198/21.html
http://blog.livedoor.jp/hako888/
(読後に腹痛などを引き起こすことがあります)
コトリバコはネットでは超有名な、怨念のこもった呪い箱についての話です。
今回はこのコトリバコに類似すると思われる朝鮮が舞台の話、幸福の壷について。
1,コトリバコは幸福の壷から伝わったのか
幸福の壷の話を、洒落にならないほど怖い話のまとめサイトではじめて読んだ時、これはコトリバコに似てるな、と思ったら最後でやはり匂わされていました。
死体(コトリバコでは一部ですが)を狭い空間に詰め、その呪いの力で敵を殺す。どう考えてもこの2つの話には関係があるでしょう。コトリバコは、朝鮮から伝わった幸福の壷なのか?コトリバコは有名な話の割に調べてもあまり詳しい情報が出て来ないのですが、分かる範囲で検証してみたいと思います。
・時代設定
幸福の壷で、ロシア在住の老人は「わしらの先祖さんがこの国にやってきたのはもう1世紀以上も前の話だ」と言っています。この話が2ちゃんねるに書かれたのは2008年。1世紀前は1908年。コトリバコは大体1860年~1880年辺りの話だと言われていますから、多少のずれはあるものの、時代設定は一応納得出来る気がします。
・民族の生き残りが日本に逃げてきた可能性
幸福の壷の話の中で、壷の力と都の役人による処刑を恐れたキム達は北へ北へと逃げたとされています。中国→ロシアと渡っていったのでしょうが、だったら近場で海を渡ってすぐに行ける日本を逃げ場所に選んだ人がいた、とは考えられないでしょうか。コトリバコを伝えたAAという人物は隠岐騒動から逃げてきたという事ですが、隠岐島は朝鮮と本州の間に位置しています。北ではなく南へ逃げた一部の民族は、隠岐を経由してそのすぐ南に位置する島根県に入った。少々こじつけな感じもしますが、地理的にはおかしくないですし、辻褄も一応合います。
まあ逃げてきた民族の者がどうやって日本語を理解したのかとか、疑問も残りますが・・・。朝鮮の山奥にいた民族ですから、外国語が話せる人の存在はちょっと考えにくいですし。
・その他の類似点
・呪いの対象は女性や子ども。
・死体(一部)を入れた容器(壷・箱)には簡単に開けられないよう細工してある。
・どちらも子どもが持って帰ったor遊んだことにより呪いが広まっている。(→子どもの興味を引く造り?)
・呪いの為には、自らの犠牲が必要(→同胞か家族を殺して詰めなければならない)
2,疑問点
・幸福の壷がはじめから呪物としてつくられた可能性
幸福の壷では、これを作ったキムたちの民族は壷が呪いの力を持っていることに最初気づかなかったような書かれ方をしています。壷を持ち帰った他民族が死んでいくのを見て、はじめてこれは呪いでは?と気づいたとか。
しかし果たしてそうでしょうか?私は、キムたちははじめから呪いのつもりでこの壷をつくったのでは?と考えています。
理由は、死体を詰めた幸福の壷が他民族の、しかも子どもの目に簡単に触れられるように置かれていた点です。壷には特殊な細工がしてあって簡単に開かないようになっていたとありますが、なぜそんな細工をしたのでしょうか?あなたが何かに鍵を掛けたり、頑丈なフタをするのはどういう時ですか?それは誰かに中身を見られたくないとか、奪われたくない時ではないでしょうか?そんな重要なもの、例えば重要な秘密が入った入れ物を、いくら鍵を掛けているからといってその辺に放り出しておきますか?
壷を開かなくする事で邪悪なものが流れ出るのを防ぐ、という意味合いもあったのかも知れませんが、どちらにしてもそこまで徹底して開かないようにする必要があるものなら、あえて他民族の目に触れる所に置いておく必要はないように思われます。住んでいるのは山ですから、いくらでも隠す場所などあるでしょうに。
それか、いっそ壷をわざと開けやすいようにしておいて、他民族に仲間の惨い死体を見せ、明日は我が身だぞと相手を脅して抑止力にしたっていいはずです。
それをあえて他民族に見せ、更に「幸福の壷だよ」など子どもの興味を引くような事を言っています。しかも子どもがそれを持っていく事を許しているし。もともと他民族を呪うつもりで、穢れたとされる女性を殺し、わざわざ埋葬ではなく壷に詰めて敵の所へ押しやったのではないでしょうか。
3,箱と壷、異なる点
・コトリバコで使われるのは箱ですが、幸福の壷で使われるのは壷。(→コトリバコを作る時に、壷よりもコンパクトな箱の方が上納しやすいと考えられ、変更されたのか)
・幸福の壷には死体を入れるだけだが、コトリバコには箱を畜生の血で満たしたり、体の一部を入れたりと工程が多い。(→畜生の血で満たす事に関しては、神道では血は穢れだと考えられていた為、日本バージョンとしてこの工程を増やすことで箱の威力を強めたのか?)
・壷に入れられたのは女性と子どもだが、箱に入れられるのは子どもだけ。(→箱を作る時に、流石に成人を殺すことには抵抗があったのか?元々間引きは行われていたようだから、子どもだけにしたのか)
こうして考えてみると、異なる点ですら説明がつく項目ばかりで、ますますコトリバコと幸福の壷の関係性が深くなっていくようです。正直、幸福の壷はコトリバコの影響を受けて後から書かれた作り話なのかな、と思わないでもないですが、コトリバコが作り話だという事が証明されていないように、幸福の壷も安易にこれ嘘じゃね?と言えないような気がします。
またも思わぬ長文になってしまいました。レポートは10行も書けないのにこういう話だとどうして筆(キーボード)が進むのか。
幸福はコトリバコ以上に情報が少ないので、説明にややこじつけっぽい部分が多くなってしまったかも知れませんがあくまで自己満足ですのでご容赦ください。
今日は朝からこれらの話について調べていたので何も食べていません。お昼はミヤネ屋見ながらカレーでも食べようかな。それでは。
そうそう。コトリバコは読むだけでも体に害を及ぼすと言われています。私がはじめてコトリバコの話を読んだのは1年近く前。その頃から慢性的な腹痛に悩まされるようになって今日も少し痛いのですが、胃が弱っているとか、単なる消化不良か何かが原因ですよね?・・・知り過ぎには、ご注意を。